先日、滋賀県大津市議会である条例改正案が否決された。
継続審査となっていた「市立幼稚園教員の給与を、保育士の水準に合わせて引き下げる」という内容である。市側は、幼保の統合や人材交流をスムーズにするための「平準化」だと主張したが、議会や現場からは「将来ビジョンがないまま、賃金だけを引き下げるのは極めて乱暴だ」と猛反発を受けた。
慢性的な保育人材の不足が叫ばれるいま、なぜ「高い方へ引き上げる」のではなく、「低い方へ引き下げる(下方平準化)」という選択が平気で行われてしまうのか。
佐藤健司市長(55)は採決後、「賃金の問題だけが焦点となってしまい、我々の説明が十分できていなかった」と反省を口にした。しかし、これは単なる「説明不足」などという生易しい問題ではない。
この騒動の底流には、現代の行政、そして社会の意思決定層(その多くは男性だ)が抱える、「家事・育児、そして子どもに対する決定的な解像度の低さ」と「致命的な認知バイアス」が潜んでいる。
1. 口には出さないが、彼らの根底にある「子守り」という見下し
なぜ、子どもの未来に関わる専門職の処遇を、これほどまでに乱暴に買い叩けるのか。
理由はシンプルだ。彼らの潜在意識(OS)の中に、「子育て=特別なスキルや知識のいらない、誰にでもできる『子守り(ケア)』である」という強烈なバイアスが厳然として存在しているからだ。
彼らの多くは、昭和から平成初期の「公(仕事・経済=男性)」と「私(家庭・ケア=女性)」を明確に二分するパラダイムの中でキャリアを築いてきた。この古いOSがインストールされていると、少子化対策を叫んではみせても、それはあくまで「公の予算を使って、私的な領域(家庭)をサポートして『あげる』」という他人事の視点に終始する。
さらに言えば、彼らは「自らの身体と時間を使って、ケア労働を経験してこなかった」という圧倒的な実体験の欠如を抱えている。
実際の家事や育児は、企業経営で言えば複数の部署を一人で同時に回すような、極めて高度な「マルチタスク・マネジメント」だ。
- 一秒先が予測不能な子どもの行動を先回りして排除する「動的な危機管理(リスクマネジメント)」
- 理屈の通じない相手のモチベーションをコントロールし、行動を促す「高次元のコーチング」
- 数値化もマニュアル化もできない「身体感覚的な暗黙知」の連続
仕事から帰ったときに目にする、「片付いている部屋」「元気にしている子ども」という結果(仕上がり)だけを見て、その裏にある膨大な知性とプロセスを不可視化しているからこそ、「時間を預かるコストを下げれば効率的だ」という、記号と数字だけの乱暴な効率論が平気で出てくるのである。
2. 子どもを「未熟」とみなす、大人社会の欠陥的認識
しかし、より根深い問題は、子どもをめぐる学問や心理学、教育学の前提そのものにある。
私たちは普段、子どもを「大人の社会に適応できる身体性や知識、経験が足りない『未熟な存在(不完全バージョン)』」として捉えている。大人の定規で測った「欠如モデル」だ。だからこそ、「大人が上から知識を詰め込み、管理して育てるものだ」という傲慢な勘違いが生まれる。
だが、生命(個)として子どもを冷徹に観察するなら、その認識は180度覆る。
子どもは、その瞬間、その発達段階ごとに完璧に最適化され、完成された存在である。
- 胎児期: 子宮内という極めて特殊な環境を生き抜くための、完璧なシステム。
- 乳幼児期: 自力で動けない代わりに、大人の保護本能を刺激する容姿(ベビーシェマ)を持ち、泣き声のトーンで的確に要求を伝える。生存のための超高度な「環境適応能力」が最初から100%備わっている。
大人は脳のネットワークが固定化されている反面、新しい環境への適応力を失った「慣性(イナーシャ)の状態」にある。対して子どもの脳や身体は、あえて「未固定」の状態で生まれてくる。これから出会うどんな環境、言語、文化にも100%の精度でチューニング(自己最適化)できるようにするためだ。
彼らは、大人がノイズとして切り捨てる微細な光や空気の振動(コンテクスト)をすべてキャッチし、自らの「初期OS」として猛烈なスピードで組み込んでいく。子どもとは、受動的に育てられる存在ではなく、能動的に世界を構築し、毎秒レベルで自らをアップデートしていく「天才的な共進化(Co-Evolaence)のシステム」なのだ。
3. 人類が生き残るための冷徹な生存戦略
子どもを「未熟な労働力の卵」ではなく、「完璧な自己進化プログラムを持った生命の最高傑作」と捉えるとき、社会の予算配分のあり方は完全に逆転していなければならない。
現在の日本社会は、生物として見れば「未来への代謝を止め、過去の維持にすべてのエネルギーを使い果たして自滅していく個体」そのものである。投票行動のボリュームゾーンに阿ねる「シルバー・デモクラシー」の慣性に流され、子どもへの予算を過少にし、高齢者への予算を肥大化させ続けている。
かつての共同体(農村など)において、高齢者は「知恵のアーカイブ」として機能していた。しかし、現代の都市型社会は高齢者から文脈(役割)を剥奪し、構造的に機能不全へと追い込んでいる。役割を失った生命は、過去の記憶という強い「慣性」に閉じこもるしかなくなる。
社会を持続させるための、冷徹な意思決定(抗慣性のマネジメント)がいま、絶対に必要だ。
機能不全に陥っていく存在に対しては、生命としての尊厳を保つための「最低限の維持・セーフティネット」としての予算へと最適化する。そして、そこから浮いたリソースのすべてを、社会の「基礎体力の更新」である、子どもの生態系へ最優先で集中投下すること。
これこそが、人類が変化の激しい未来を生き残っていくための、唯一の生存戦略である。
おわりに
大津市議会が今回、賃下げ条例案に「NO」を突きつけたのは、単なる条件闘争の勝利ではない。大人社会の「解像度の低い効率論」と「生命に対する敬意の欠如」に対して、現場のリアルな叫びが冷水を浴びせた、極めて象徴的な出来事である。
人間としての「初期OS」をインストールしている現場を舐めてはならない。
社会が古い慣性を脱却し、未来に向けて真に「共進化」していけるかどうかは、私たちがこの「完成された存在」に対して、どれだけ謙虚になれるかにかかっている。